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小矢部市で育ちました

私が通った小学校は蟹谷小学校といいます。呼び方は『かんだしょうがっこう』といいます。学校の建物が東京大学のキャンパスをモチーフにしたものになっており、度々テレビなどで話題となりました。
私の家から小学校までは約1キロほどだったので、集団登校で徒歩通学でした。通学路は田舎の農道を通って通っており、目印には小矢部インターがあります。富山県は雪が降るのですが、雪の日も基本的には徒歩で通学でした。
得意科目は社会と音楽で、特に音楽で歌を歌うことが大好きでした。苦手な科目は算数でした。
いつも算数の授業がある日は憂鬱だったことを覚えています。あまり大きな小学校ではなかったので、同級生は全部で80人ほどでした。男女比率も半々ほどでとても仲が良かったです。特別有名になった同級生はいませんが、中には医師になった人もいます。
私の小学校では2年ごとに担任の先生が変わるのですが、6年生の担任の先生は女性の先生で、とても厳しかったことを覚えています。
ただとてもキレイな先生で自分も大人になったらあんなキレイな人になりたいな、と憧れの気持ちを抱いていました。
小学校での思い出といえば、友達との帰り道です。帰りは家が近所の友達と遊びながら帰るのがとにかく楽しくて、いつも30分ほどで家に着くのに遊びながら1時間以上掛けて帰ったことを覚えています。花を摘んだり、鬼ごっこをしながら帰ったりしました。また学校では給食がとにかく美味しくて、いつもあっという間に完食していました。給食は特に揚げパンやフルーツポンチが美味しかったです。
嫌だったことはマラソン大会です。いつも雨が降らないかな、と願っていたのですが、小学校生活の6年間、一度も雨が降ることはなかったです。嫌だったけど実際に走ってみると負けたくない、という気持ちが沸き上がってきて、10位以内に何度か入賞することができました。でもやっぱりマラソン大会は嫌だったことを覚えています。また、私の小学校では清掃にとても力を入れていた学校だったので、半年に一度校舎のワックス掛けを行うのですが、机や椅子を全て廊下に出して清掃するのが幼心ながらに面倒くさく感じ、あまり好きではありませんでした。でも6年間の小学校生活はとても楽しく、今も同級生とは交流があります。
進学先の中学校は蟹谷中学校で呼び方は小学校と同じ、『かんだちゅうがっこう』といいます。
基本的に小学校と同じメンバーがそのまま中学校に進学するので、同じメンバーとまた一緒に過ごせることがとても嬉しかったです。

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